2.パネンカ先生との出逢い

パネンカ先生自宅
パネンカ先生の自宅・練習室

 ヤン・パネンカ先生は、まさに『静なるカリスマ』、常に崇高で後光がさしていました。知性、鋭い洞察と研ぎすまされた感性、深い思いやりと厳しさを同時に持ち合わせていらっしゃいました。

 人として、音楽家として、一生をとおして何を目指すべきか道を示して下さった先生は、私の人生の「背骨」です。

 

◎出逢い

 1995年7月、パネンカ先生が来日されました。ヴァイオリンの漆原啓子さんとのデュオリサイタルで全国各地を公演、その後、霧島国際音楽祭の講習会で指導という予定でした。1995年9月からなんとしてもプラハ留学したいと思っていた私は、パネンカ先生に直接お会いしてお話しすることで、なんらかの進展を期待し、京都の公演にでかけました。先生の演奏を初めて生で聴きましたが、ピアニッシモの澄み切った美しさ、歌のように横に繋がる旋律、和声的に完璧にコントロールされたバランス、豊かな音色とコントラストに心を奪われました。この先生に師事することができれば、最高の幸せだと感じました。

 コンサートの後のサイン会で、私は意を決して、準備していたチェコ語で先生に話し掛けました。

 

祐:先生!(祐=私)

パ:(どうしても誰だか思い出せないといった感じで頭を抱えながら)私はあなたにどこかであったことがありますか?(パ=パネンカ先生)

祐:いいえ、今日が初めてです。コンサートにとても感激しました。

パ:ありがとう。あなたはどうしてチェコ語をはなせるのですか?

祐:留学してパネンカ先生に師事して勉強したいと思い、チェコ語を勉強しています。

パ:チェコには来たことがないのですか?

祐:ありません。先生、今までに何度か願書を送っているのですが、届きましたか?

パ:全く受け取っていません。どうしてだろうか?大使館にも問い合わせてみよう。

祐:霧島国際音楽祭の講習には受講生として参加します。

パ:霧島にか、それはいい、そのとき詳しく話しましょう。

 

 先生のチェコ語が聞き取れず、ゆっくり言い直して下さったり英語もまじえながらでしたが、このような会話をかわし、心臓がバクバクするほど緊張してしまいました。

 霧島の講習会で先生に再会したところ、先生は私に『留学が可能かどうかはこの講習会で判断できる』とおっしゃいました。先生に見ていただく曲として、ドヴォジャークのトリオ1番2番、ドヴォジャークとシューマンのピアノ五重奏を用意していました。

 当時私は大変な愚か者で、留学の大きな目標を室内楽に絞っていて、先生に見てもらうために室内楽のレパートリーのみを準備していたのです。先生は、厳しい口調で

「これからプラハで勉強しようとするのに、わたしにソロの曲をもってこないというのはどうしてなのか?」

とおっしゃいました。

 今から考えると全くその通りで、このようなことをこの場で公表してしまうことは恥ずかしいのですが、これもパネンカ先生との大切な思い出です。

「まあ、仕方がない。取りあえず弾いてみなさい。チェコ語でレッスンして見ましょう。分からなかったらすぐ聞きなさい」

とおっしゃっいました。

 私は、”すでに絶望的な幕開けかも”と思い、ぴりぴりした雰囲気でレッスンが進みました。

 

 レッスンが進み、ドヴォジャークのピアノ3重奏曲の第2楽章に入ったとき、思い掛けないことが起こったのです。

 先生が冒頭のチェロソロパート(カンタービレ)を口づさみはじめました。わたしは、反射的にそのピアノ伴奏の部分を弾きました。先生が絶妙なルバートをしたので”うわーー素敵な歌い方!”と思いながら伴奏を弾いていました。その瞬間、先生が立ち上がり私の方に近付いてきて、ジッと目を覗き込み、1分ぐらい経過したでしょうか、ソファーに戻りジッと考えていらっしゃいました。それからゆっくりと話をし始めました。(あとで分かったのですが、これはパネンカ先生独特の「間」です。)

 「さちこ、君には類い稀なアンサンブルのセンスがある。きっとプラジャーク弦楽四重奏団もさちこと共演したときとても喜んだに違いない。確かに、君はソロの曲をもってこなかったから留学の可能性について判断しにくいと思ったけれど、僕は君の演奏がとても気にいった。9月からプラハで僕の元で勉強できるように、帰国したら手続きを精一杯やってみよう。」と。

 私は天にものぼる気持ちでした。パネンカ先生はプラハ芸術アカデミー学内で絶大なる信頼をえていたため、当時はこのような特例がありました。つまり、パネンカ先生が生徒に対し実技試験を行って合格と判断した場合、それをうけて学校が留学を許可するというものです。霧島の講習会の最終日、9月からプラハで勉強するために先生と詳細な打ち合わせをしました。そこでパネンカ先生は大切なことを話されました。

 「さちこ、今から僕がいうことを心して聞きなさい。これから、僕のところで本気で勉強したいなら、守ってもらいたいことがある。室内楽奏者を目指すなら、ソロの勉強をしなさい。ピアニストとして3本の柱は一生もち続けなさい。その3本の柱は絶やすことなく、その上で室内楽を演奏するならよろしい。その3本の柱とは

  1. バッハ等のバロック
  2. モーツァルトかベートーヴェンのソナタ
  3. ショパンなどの練習曲、をつねにさらうこと。

 さらに、大切なことをいっておきます。これから渡航までの1ヶ月半、チェコ語の勉強を禁じます!チェコに一度も来ていないのにそれだけチェコ語を理解できるということは、相当な時間をチェコ語に費やしているに違いないと推察できる。その時間をピアノに費やしなさい、今言った3本の柱に相当する作品をできるだけたくさん選びレパートリーとしてもってきなさい。それが課題です。」

 この言葉を、心と頭でしっかりと重く受け止めました。私の中にある全く磨かれていない、埋もれていたわずかな才能を見出してくれた先生、そんなパネンカ先生の期待に最大限応えたいと思いました。

 先生はチェコに帰国なさってから、わたしがプラハ芸術アカデミーの先生のクラスで勉強できる様に手続きをして下さいました。こうして、念願かなってチェコに渡ることになったのです。

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