14.スメタナ弦楽四重奏団 コステツキー先生

コステツキー
チェコフィル室内楽チクルスコンサートにかけつけてくれたコステツキー先生

 コステツキー先生は晩年ヤングプラハ音楽祭の音楽監督として大活躍されていましたが、惜しまれながらお亡くなりになられました。私はコステツキー先生のレッスンを受けたことがありませんが、以前ヤングプラハ音楽祭のお手伝いをしていたときに、先生のお宅によくお邪魔していたことがありました。

 先生は、日本のハイテク電気製品マニアで、ビデオ、テレビ、DAT、MD、ステレオなどのコレクターでした。スメタナカルテットとパネンカ先生が日本で公演ということになると、撮影担当は決まってコステツキー先生だったそうです。

 コステツキー先生は、ご自分で料理もなさり、素晴らしい腕前でした。台所で日本のサランラップを得意げにふりかざし

「さちこ、日本のラップに勝るものはないよ。なんせ片手でラップがきれいに切れちゃうんだからね!紙製ののこぎりがついているのが素晴らしい。僕は日本のラップの箱を大切にとってあるんだ。だけど、残念なことに、箱の中身をチェコのラップに変えると、片手では切れないんだ」と力説していました。

 冷凍庫には、たくさんの食品がストックされていました。とても感動したのが、マーガリンのプラスティック製空き箱に、スープを1回分にわけて冷凍していることでした。私がこのマーガリンの容器について質問すると、

「ああ、これか、さちこはこうやって保存しないのか?これはいいぞ、スープをつくりだめしておいて、1食分ずつこうして冷凍して、必要な分だけ解凍すればいい。それに、ほら、すぐパカッと中身がはずれるからなあ、容器から凍っているものをすぐ取りだせて、鍋に移しかえられる。」と解説して下さいました。

 わたしも、先生に習ってスープやカレーをこの方法でストックしています。そのたびに、コステツキー先生のことを思い出します。

 2002年3月14日、ルドルフィヌム・ドヴォジャークホールで私は、チェコフィル室内楽チクルスのプラジャーク弦楽四重奏団の公演に出演、シューマンのピアノ五重奏、ペンデレツキー六重奏曲を共演し、コステツキー先生は応援に駆け付けて下さいました。先生にお目にかかったのはこれが最後となってしまいました。

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