プラハへの留学を決意した時に、私は自分に対してある目標をたてました。それは、留学中にドヴォジャークのトリオ全4曲の勉強をすることと、ソロリサイタルを開催することでした。この目標のおかげで留学期間の2年間で計画的にドヴォジャークのトリオ全4曲を勉強し、パネンカ先生のレッスンを一通り受けることができました。
1997年、2年間続いた留学も残すところあと1ヶ月となった頃、私は生まれて初めてCD録音とチェコ放送局でのスタジオ録音、そしてソロリサイタルを経験しました。私にとって記念すべきデビュー盤となったCDは、私が音楽家としての理想像としているプラジャークカルテットとの共演で実現することになり、ヤナーチェク作曲『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』を録音しました。
プラジャークカルテットからは1997年の1月頃にレメシュさんから要請がありました。
「今度、僕達(プラジャークカルテット)はハルモニアムンディのレーベルでヤナーチェク作品(チェコの作曲家)のCDを作るんだ。CDにはヤナーチェクのカルテットの作品を収録するつもりなんだけど、ヤナーチェクは2曲しかカルテットの作品を書いていなくて、その2曲で1枚のCDを製作するには短すぎる。製作会社からは、もう1曲何か収録するようにいわれていて『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』を録音することに決めたんだ。そこで、君にお願いなんだけど、僕と一緒に弾いてくれるかな?ヤナーチェクの作品は独特だけどアンサンブルのセンスをもっている君ならできると思うんだ、パネンカ先生にも師事しているし、きっと期待に応えてくれると信じている。カルテット全員一致で決まったことだよ。」
この思いがけない誘いに、私の答えはもちろん「ANO(チェコ語でYes)!!!」でした。
無名の私を抜てきしてくれたプラジャークのメンバーや、メンバーの言葉を信じて共演を許してくれたレコード会社の期待に応えたい一心で真剣に準備をしました。そして留学の最後にこのような機会をいただいて、CDという形に残せるなんてなんて恵まれているのだろうと思いました。
レメシュさん(プラジャークカルテット・ヴァイオリン奏者)は、人なつこくて細やかな配慮のできる人です。そしてその人柄どおりの音楽を奏で、優しさとパッションに溢れ、ビロードのような音色からドラマティックな音まで自在な音色をあやつります。
レメシュさんとはCDの収録前に全部で4~5回の合わせをしましたが、本当にその場で歌ったり踊ったりしながらの楽しい合わせでした。また、私が録音の1週間前に扁桃腺が腫れ、ひどい熱を出してしまった時に、私の住んでいる寮まで食事を差し入れしてくれたこともありました。
そんな中で、CD収録の日が近づいてきました。
いよいよマイクの下で演奏する日になりました。病み上がりの私は、休息を十分にとったため、幸運にも良い意味で感覚が研ぎすまされていました。
CDの録音が始まる前、レメシュさんが私に強調して何度も言ったことがありました。それは
「さちこ、この赤いランプ(収録中という意味を示す)がともっているときは、200%気持ちを込めて長いフレージングで演奏するんだ!たとえ、同じところを部分的に何度も取り直しすることになっても、慎重になって間違えないように弾こうなんて思わなくていい。間違ってもいいからつながりをもたせて思いきって弾け。そうでないと、気持ちやフレーズが細切れになってしまうので、いいCDにならないんだ。」
ということでした。
プラジャークのメンバーは私に、こうした『CD収録のコツ』などを惜しみなく伝授して、録音初心者である私を本当にうまく導いてくれました。スタッフやメンバーの助けもあり、私は「レメシュさんが心で描いている音楽を共に感じること」だけに集中し、演奏することができました。
CDの録音が始まるとプロデューサーのゲムロット氏は、しきりに首をかしげてこう言いました。
「スタジオのスピーカーから流れてくるピアノの音を聞いていると、モラヴィア(ブルノなどの都市があるチェコの南東部地方)の人が弾いているみたいだ。本当に君は日本人なのか?もしかしたら前世ではヤナーチェクと同郷フクヴァルディの生まれではないか?」
というので、私はゲムロット氏に
「私の前世は、ドヴォルジャークの飼っていた犬です。」
と答えました。すると、一同一瞬目をパチクリした後、嵐のように笑っていました。今はそれが私達の間でお決まりの思い出話しになっています。
CDの録音は、限られた時間内で仕上げなければならず、1秒1秒が大変貴重な時間です。したがって、毎回のテイク(演奏)は、一瞬も気が抜けない真剣勝負となります。次々に出されるプロデューサーの指示に従って反応したり、自分の演奏解釈における考えを述べたりコンディションを説明することが必要になってきます。
この時点で私は、チェコ語ができるようになっていたので、チェコ語でスタッフ、演奏者と意志の疎通ができることで、通訳に費やされる無駄な時間を省けました。チェコ語を勉強していたよかったーーと心から思いました。
このとき収録されたCDは、発売直後からクラシックの分野では稀なセンセーショナルなセールスを記録し、フランスの音楽誌『ル・モンド・ドゥ・ラ・ムジーク』の年間ベスト15ショック賞のなかに選ばれた他、ディアパゾン誌の室内楽部門年間最優秀賞、テレラマffff賞などを受賞しました。
今でも、パリのCDショップではヤナーチェクCDの完全保存盤として陳列されています。そこでのプラジャークSQのヤナーチェク演奏は、本当に見事でドラマを見ている様です。わたしは、本当にこのCDで共演できて光栄です。
賞を受賞した時に、私はこのことをすぐにパネンカ先生に報告しました。先生はとても喜んで下さって、私にこう言ってくれました。
「さちこ、これはすごいことなんだよ。ヨーロッパの優秀な音楽家でもこういう賞をとれる人は限られている。きっと、これからいい仕事が来るようになるよ、ヨーロッパというところはそういうところなんだよ、まあ見ていなさい。」
パネンカ先生のおっしゃった通り、プラジャークカルテットのCD録音でピアノが必要なときには、レコード会社の人が、私を指名してくれるようになり、初めてのCD録音からわずか6年の間に、6枚ものCDをプラジャークカルテットとの共演で残すことができました。