9.ピアノの巨匠ヤン・パネンカ

ここで改めてパネンカ先生のプロフィールをご紹介したいと思います。
 1922年7月8日生まれ。特に幼いときからピアノの英才教育を受けていたわけではなく、1940年18才で師範学校に進学、必須単位として「器楽演奏」があり、スメタナ演奏に定評のあった巨匠マキシアン(当時コンセルヴァトワール教授)に師事、そこで才能を見い出され、ピアニストへの転向を勧められました。
 1944年には、マキシアン先生との共演でデビュー。1946年に、プラハ・コンセルヴァトワールを卒業後、レニングラード・コンセルヴァトワールに留学、セレブリアコフ教授に師事。
 1951年プラハの春コンクールにおいて優勝、1958年にはチェコ・フィルハーモニーの常任ソリストに選ばれ、カレル・アンチェル指揮のもと、3ヶ月間チェコ・フィルハーモニーに同行し世界各地で公演、これが世界デビューとなりました。
 当初はソロ活動に重点をおいていましたが、1957年からはスークトリオ(ヴァイオリン:スーク、チェロ:フッフロ)のピアノ奏者として室内楽の分野でも才能を発揮、室内楽での活動も大きな割り合いを占めることになります。
 また、複雑な譜面も初見で演奏できる特技を持っていたため、作曲家から高い評価を受け、積極的に現代音楽の演奏にとりくみました。1978年までスークトリオのピアノ奏者としての活動を続けましたが、病気のため右腕が動かなくなりピアニストとしての活動を休止します。
 その後、大親友であった指揮者のヴァーツラフ・スメターチェックの勧めにより指揮者に転向、2年後に指揮者としてデビュー。1982年にはプラハの春音楽祭で指揮、バッハの3台のピアノのための協奏曲でソリストの一人として指揮と同時にピアノも演奏し、そのコンサートでのピアノ演奏を切っ掛けに「指揮よりもピアノのほうが自分の魂に近い」と悟り、スメタナ弦楽四重奏団の勧めもあって、室内楽の分野に限ってピアニストとして復帰しました。
 長期に渡り恩師マキシアンのもとで大学院助手を勤めていましたが、1989年にはプラハ芸術アカデミーピアノ科教授に就任。スプラフォンレーベルで100以上の録音を残し、チャールス・クロス・アカデミー・レコードグランプリを2度受賞、スプラフォン大賞を3度受賞。
 代表的なものには、ヴァーツラフ・スニーチルとの『モーツアルト・ヴァイオリンソナタ全集』、ヨゼフ・スークとの『ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ全集』、ヨゼフ・フッフロとの『ベートーヴェンチェロソナタ全集』、『ベートーヴェン・ピアノ協奏曲全集』があります。
 1999年7月12日没。